1980年代の漫才ブームを代表する女性コンビ、今いくよ・くるよ。細身で華やかなメークの今いくよさんと、派手な衣装、軽快な身ぶり、決めぜりふ「どやさ!」で知られた今くるよさんは、互いの個性を生かした漫才で幅広い世代を魅了した。高校時代の同級生として出会い、長年にわたって舞台とテレビで活躍した二人は、女性漫才師の先駆者としても評価されている。
いくよさんは2015年5月28日に胃がんで死去し、くるよさんも2024年5月27日に膵がんで亡くなった。二人がそろって舞台に立つ姿はもう見られないが、2023年の「第26回上方演芸の殿堂入り」や、2025年に開催された追悼公演を通じて、その功績は今も語り継がれている。2026年10月現在の情報を踏まえ、本名、死因、結成秘話、代表ネタ、受賞歴、最後の舞台まで整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 二人の歩み:高校時代のソフトボール部の同級生から、1980年代を代表する女性漫才コンビへと成長した。
- 死去の経緯:今いくよさんは2015年に胃がんで、今くるよさんは2024年に膵がんで亡くなった。
- 残した功績:「どやさ!」のギャグと数々の受賞歴に加え、2023年の上方演芸の殿堂入り、2025年の追悼公演も二人の功績を伝えている。
【今いくよ・くるよとは】高校の同級生から漫才コンビへ
今いくよ・くるよは、京都市出身の女性漫才コンビ。二人は京都明徳高等学校の同級生で、同じソフトボール部に所属していた。大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」の紹介によると、いくよさんはピッチャー、くるよさんはマネージャーを務めていたという。
卒業後、二人はそれぞれ会社員として働いていたが、漫才のオーディションを受けたことをきっかけに芸人の道へ進んだ。1970年に島田洋之介・今喜多代の今喜多代さんに弟子入りし、コンビとして活動を始めた。
結成の時期については、資料によって1970年の結成と1973年の初舞台・デビューという表記が見られる。師匠への入門とコンビ結成、実際の舞台デビューを区別すると、経歴を理解しやすい。
二人の知名度を大きく押し上げたのが、1980年5月の民放テレビ番組への出演だった。ワッハ上方の紹介では、コンビ結成から約10年を経て出演した番組で、結果が出なければ最後だと告げられたものの、観客の大きな笑いを獲得。その後、出演依頼が相次ぎ、全国的な人気につながった。
漫才の題材は、恋愛や結婚への願望、流行のファッション、美容など、身近な女性の日常に根差したものだった。二人は自分たちの外見や衣装も笑いに取り込み、いくよさんの細身の体型と濃いメーク、くるよさんのふくよかな体型と華やかな衣装という対照的な個性を、コンビならではの魅力へと変えていった。
【年表】結成から殿堂入り、二人の歩みを整理
今いくよ・くるよの歴史を振り返ると、師匠への入門、テレビ出演を機にしたブレーク、受賞、相方との別れ、そして後年の顕彰という節目が見えてくる。吉本興業の公式発表、大阪府立上方演芸資料館の紹介、当時の報道をもとに主な出来事をまとめた。
| 時期 | 出来事 | 主な意味・実績 |
|---|---|---|
| 1970年 | 今喜多代に弟子入り | 高校時代の同級生二人が芸人としての道を歩み始める。 |
| 1973年 | 初舞台・デビューと報道 | 資料によって結成年との表記に違いがある。 |
| 1980年5月 | 民放テレビ番組に出演 | 大きな反響を得て、全国的な人気を獲得する契機となった。 |
| 1981~1984年 | 主要な演芸賞を受賞 | 上方お笑い大賞の金賞、花王名人大賞の最優秀新人賞、上方漫才大賞の大賞など。 |
| 2015年5月28日 | 今いくよさんが死去 | 胃がんのため67歳で逝去。くるよさんは以後も活動を続けた。 |
| 2022年4月 | くるよさんが「伝説の一日」に出演 | 吉本興業創業110周年特別公演。くるよさんの最後の舞台となった。 |
| 2023年 | 第26回上方演芸の殿堂入り | 二人の関西演芸界への功績が顕彰された。 |
| 2024年5月27日 | 今くるよさんが死去 | 膵がんのため大阪市内の病院で逝去。 |
| 2025年3月3日 | 追悼公演「きょうはどやさの日!」 | なんばグランド花月で、二人を慕う芸人仲間が集まり功績を振り返った。 |
この年表で押さえておきたいのは、コンビの活動期間と個々の活動期間を混同しないことだ。いくよさんの死去後も、くるよさんは後輩芸人との交流を続け、舞台に立っていた。二人のコンビとしての歩みは、片方が亡くなった時点で完全に同じ形を保てなくなった一方、くるよさんの活動や後輩への影響を通じて、そのつながりは続いていた。
【死去の経緯】今いくよさんは2015年、今くるよさんは2024年
今いくよさんの死因は胃がん
今いくよさんは2015年5月28日午後5時58分、胃がんのため大阪府内の病院で亡くなった。67歳だった。本名は里谷正子(さとや・まさこ)。所属事務所の発表を伝えたシネマトゥデイや日刊スポーツなどが、死去の経緯を報じている。
日刊スポーツによると、いくよさんは2014年9月ごろに体調不良を訴え、検査で胃がんが判明。治療に専念した後、同年11月に退院し、抗がん剤治療を続けながら12月に京都のよしもと祇園花月で舞台復帰を果たした。
その後も仕事を続け、2015年5月11日には大阪のなんばグランド花月に出演していたと報じられている。亡くなる約2週間前まで舞台に立っていたことは、長年にわたって漫才を続けた芸人としての姿勢を伝えるエピソードの一つだ。
いくよさんの死去後、くるよさんは相方を失いながらも芸能活動を継続した。2015年8月4日には、いくよさんのお別れの会がなんばグランド花月で開かれ、芸人仲間や関係者ら約1,000人が参列したと日刊スポーツが報じている。漫才師にとって大切な劇場が、相方との別れの場にもなった。
今くるよさんの死因は膵がん
今くるよさんは2024年5月27日、膵がんのため大阪市内の病院で亡くなった。吉本興業は翌28日に訃報を発表し、本名を酒井スエ子(さかい・すえこ)と公表した。年齢は事務所発表では非公表だが、報道各社は76歳と伝えている。
くるよさんは2015年にいくよさんを失った後も、ピンでの活動や後輩芸人との交流を続けていた。中川家らとユニットを組んだこともあり、後輩の活躍を楽しみにしていたという。
最後の舞台は、2022年4月に大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」だった。スポーツニッポンの報道によると、くるよさんは車いすで登場し、おなじみの「どやさ!」を披露した。2024年の訃報発表時には、吉本興業からお別れ会の予定はないと案内されていたが、翌2025年には二人を偲ぶ追悼公演が開催されることになる。
なお、いくよさんの命日は5月28日、くるよさんの命日は5月27日。二人が亡くなった日は、年こそ異なるものの、日付が1日違いとなっている。
【代表ネタ】「どやさ」の意味と二人ならではの掛け合い
「どやさ!」はくるよさんの代名詞
今くるよさんを語るうえで欠かせないのが、決めぜりふの「どやさ!」だ。吉本興業の訃報発表では、お腹をポンとたたくしぐさや、両手を顔の前で交互に前後させる動きとともに、くるよさんの代名詞的なギャグとして紹介されている。
「どやさ」は、漫才の中で勢いよく相手や観客に働きかけ、笑いを押し出すような決めぜりふとして機能した。日常会話の一語に置き換えれば必ず同じ意味になるというものではなく、声の調子、身ぶり、タイミングを組み合わせることで面白さが生まれる表現だった。
くるよさんを慕う後輩たちが、この動きやフレーズをまねるようになったことも、知名度を広げた要因だ。単に言葉だけが有名になったのではなく、誰が見ても印象に残る身ぶりとセットになっていた点が、長く記憶されるギャグになった理由と考えられる。
恋愛、結婚、ファッションを笑いに変えた代表ネタ
今いくよ・くるよの漫才は、恋愛や結婚への憧れ、女性の身だしなみ、流行のファッションや美容といった身近なテーマを取り入れたものだった。ワッハ上方の紹介でも、こうした題材を軸にした本格的な女性漫才として評価されている。
二人の魅力は、外見の違いを単なる見た目の特徴で終わらせず、会話のリズムや掛け合いに組み込んだところにある。いくよさんの細身の体型、濃いメーク、つけまつげと、くるよさんのふくよかな体型、派手な衣装。それぞれの個性が明確だったからこそ、舞台に登場した瞬間から観客にキャラクターが伝わった。
また、二人は自分たちの容姿やファッションをネタにしながら、しゃべくりを中心に笑いを組み立てていた。衣装や身ぶりだけに頼るのではなく、言葉の応酬と視覚的な印象を組み合わせた点が、長年にわたる人気を支えた。
代表ネタを探す際は、特定の演目名だけで二人を理解しようとするよりも、「どやさ!」のギャグ、恋愛・結婚を題材にした漫才、ファッションや容姿をめぐる掛け合いという三つの要素に注目すると、二人ならではの芸風をつかみやすい。
【受賞歴】上方漫才大賞と2023年の殿堂入りが示す功績
今いくよ・くるよは、人気だけでなく、演芸界での実績も評価されてきた。吉本興業の公式訃報では、1981年の「上方お笑い大賞」金賞、1982年の「花王名人大賞」最優秀新人賞、1984年の「上方漫才大賞」大賞など、主要な受賞歴が紹介されている。
なかでも1984年の上方漫才大賞は、コンビとしての実力を示す大きな節目だ。さらに大阪市が紹介する「咲くやこの花賞」では、昭和59年度の大衆芸能部門・漫才で顕彰されている。こうした賞は、一時的なテレビ人気にとどまらず、漫才師としての技量や演芸界への貢献が認められたことを示す。
そして2023年、二人は大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」による「第26回上方演芸の殿堂入り」に選ばれた。同資料館の記載では令和4年度の顕彰に当たる。関西演芸界の発展と振興に貢献した芸人を称える制度で、二人の功績がコンビとして改めて評価された。
女性漫才師の先駆者と呼ばれる理由は、女性コンビとして目立ったことだけではない。身近な題材を使い、舞台上でのキャラクターづくりと本格的な掛け合いを両立させ、全国的な人気を長期にわたって築いたことにある。劇場、テレビ、CM、映画など幅広い場で活躍したことも、女性漫才師の存在感を押し広げた実績として評価できる。
【最後の舞台と追悼公演】2025年「どやさの日」に受け継がれた笑い
二人の「最後の舞台」は、同じ時期の出来事ではない。いくよさんは2015年5月11日、なんばグランド花月での出演が最後の舞台となった。一方、くるよさんは相方の死去後も活動を続け、2022年4月の「伝説の一日」が最後の舞台となった。吉本興業の公式訃報と当時の報道を照らし合わせると、それぞれの最後の出演を区別して理解できる。
くるよさんの死去後、吉本興業は2025年3月3日に、追悼公演「きょうはどやさの日!~ひな祭りはいくよ・くるよと笑いよし!~」をなんばグランド花月で開催した。二人が生前、ひな祭りの日に女性漫才師らを集めて食事会を開いていたことにちなみ、その特別版として企画された公演だった。
当日は中川家が二人に扮した漫才を披露し、西川きよし、ザ・ぼんち、ハイヒール、エルフら、世代を超えた芸人たちが参加。会場のロビーには、生前に着用していた衣装やつけまつげなどの思い出の品も展示された。日刊スポーツやオリコンなどの報道では、芸人仲間が二人の人柄やエピソードを振り返り、功績をたたえた様子が伝えられている。
この追悼公演は、単に過去の映像を振り返る催しではなかった。二人が後輩たちと築いた関係や、女性芸人を集めて交流していた習慣そのものを、舞台の形で受け継ぐ企画でもあった。BSよしもとでは2025年5月28日に公演の特別番組が放送され、二人の笑いを映像でも振り返る機会が設けられた。
2026年10月現在、確認できる主要な追悼企画としては、この2025年の公演と特別番組が挙げられる。2026年の新たな追悼公演については、吉本興業の公表資料で具体的な開催告知は確認できない。今後の顕彰や放送企画を追う場合は、吉本興業、なんばグランド花月、BSよしもとの公式発表が主な確認先となる。
【プロの結論】二人が女性漫才師の先駆者と呼ばれる理由
今いくよ・くるよの功績は、「どやさ!」という一つのギャグだけでは説明できない。二人は、外見の対照性、ファッション、身ぶり、しゃべくり、身近な話題を一体化させ、観客に伝わりやすい独自の漫才スタイルを築いた。
当時の漫才ブームの中で、女性コンビとして全国的な人気を獲得したことは大きい。さらに、主要な演芸賞の受賞、テレビや映画などへの活動の広がり、上方演芸の殿堂入りという実績は、二人の存在が一時的な流行を超えて演芸史に刻まれていることを示している。
もう一つ見逃せないのが、後輩芸人との関係だ。吉本興業の訃報発表では、くるよさんが後輩に舞台衣装の靴やスーツを贈ったり、食事をごちそうしたりしていたことが紹介されている。2025年の追悼公演でも多くの芸人が集まったことから、二人の影響は舞台上の芸風だけでなく、芸人同士の交流にも及んでいたことがうかがえる。
二人の功績を理解するうえで大切なのは、派手な衣装や有名な決めぜりふだけに注目しないことだ。笑いの題材をどう選び、相方との違いをどう生かし、長く舞台に立ち続けたのか。その積み重ねに目を向けると、今いくよ・くるよがなぜ女性漫才師の先駆者として記憶されているのかが、より具体的に見えてくる。
【今いくよくるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよさんと今くるよさんの本名は?
A1:今いくよさんの本名は里谷正子(さとや・まさこ)、今くるよさんの本名は酒井スエ子(さかい・すえこ)です。吉本興業の訃報発表や当時の報道で確認できます。
Q2:今いくよさんと今くるよさんの死因は?
A2:今いくよさんは2015年5月28日に胃がんで亡くなりました。今くるよさんは2024年5月27日に膵がんで亡くなりました。二人の命日は1日違いです。
Q3:「どやさ!」にはどんな意味がある?
A3:今くるよさんの代名詞的な決めぜりふです。お腹をポンとたたくしぐさや、両手を顔の前で交互に動かすポーズと組み合わせて、勢いよく笑いを生む表現として親しまれました。
Q4:今いくよ・くるよの最後の舞台はいつ?
A4:いくよさんは2015年5月11日のなんばグランド花月への出演が最後と報じられています。くるよさんは2022年4月、吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」が最後の舞台となりました。
Q5:今いくよ・くるよの追悼公演は開催された?
A5:はい。2025年3月3日に、なんばグランド花月で「きょうはどやさの日!~ひな祭りはいくよ・くるよと笑いよし!~」が開催されました。2025年5月にはBSよしもとで特別番組も放送されました。
Q6:今いくよ・くるよの代表的な受賞歴は?
A6:1981年の上方お笑い大賞・金賞、1982年の花王名人大賞・最優秀新人賞、1984年の上方漫才大賞・大賞などがあります。2023年には第26回上方演芸の殿堂入りにも選ばれました。
まとめ:今いくよ・くるよの功績は2026年も語り継がれる
今いくよ・くるよは、高校時代の同級生という関係から出発し、独自の掛け合いと鮮明なキャラクターで1980年代の漫才ブームを支えた女性コンビだった。いくよさんは胃がんで2015年に、くるよさんは膵がんで2024年に亡くなったが、二人の芸風や後輩への影響は今も残っている。
2023年の上方演芸の殿堂入り、2025年の追悼公演「きょうはどやさの日!」は、二人が残したものを改めて伝える節目となった。2026年に二人の歩みを振り返る際は、本名や死因、最後の舞台といった基本情報に加え、「どやさ!」に象徴される表現力、数々の受賞歴、女性漫才師の道を切り開いた功績を併せて見ることが大切だ。二人が舞台で築いた笑いと人とのつながりは、これからも上方演芸の歴史の中で受け継がれていく。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))