女優の樹木希林さんとロックミュージシャンの内田裕也さん。1973年に結婚した2人は、長年にわたって別々に暮らし、1981年には離婚届をめぐる騒動と裁判も経験しました。それでも、2018年に樹木さんが亡くなるまで婚姻関係は続き、翌2019年には内田さんもこの世を去りました。
なぜ、ほとんど一緒に暮らさなかった2人が、離婚という選択をしなかったのでしょうか。2018年の朝日新聞のインタビュー、スポーツ紙の報道、娘の内田也哉子さんが語った両親の姿をたどると、単純な「おしどり夫婦」でも、ただの「不仲な夫婦」でも説明できない関係が浮かび上がります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 結婚の理由:樹木希林さんは内田裕也さんの型破りな個性に惹かれ、娘の也哉子さんは母が父との関係に独自の意味を見いだしていたと振り返っています。
- 別居と離婚騒動:結婚後まもなく別居生活に入り、1981年には内田さんが離婚届を提出。樹木さんが離婚無効を求めて提訴し、離婚は成立しませんでした。
- 2026年現在:樹木さんは2018年9月15日、内田さんは2019年3月17日に死去。2人の夫婦関係を知る手掛かりは、本人たちの発言や娘の証言、過去の映像・報道に残されています。
【出会いと1973年の結婚】樹木希林が内田裕也に惹かれた理由
樹木希林さんと内田裕也さんが結婚したのは1973年10月です。当時、樹木さんは女優として活動し、内田さんは日本のロックシーンを切り開いてきたミュージシャンでした。2人の出会いは、樹木さんが出演していたテレビドラマ「時間ですよ」の撮影現場だったと、朝日新聞のインタビューで樹木さん自身が振り返っています。
内田さんは、周囲に合わせて穏やかな日常を送るタイプではありませんでした。音楽に対する強いこだわりと奔放な言動で知られ、後年まで「ロックンロール」という言葉を自らの生き方の象徴として使い続けました。一方の樹木さんも、世間の常識や芸能界の慣習にとらわれず、自分の考えを率直に語る人物でした。
娘の内田也哉子さんは2021年、TOKYO FMの番組に出演した際、母が父と結婚した理由について語っています。也哉子さんの説明によると、母の中には父の何かに強く触れるものがあったのだろう、ということでした。母自身の気持ちを娘が振り返った証言であり、結婚の理由を一つに断定できるものではありませんが、少なくとも単なる条件や世間体だけで結ばれた夫婦ではなかったことがうかがえます。
さらに、2024年に文春オンラインで掲載された小泉今日子さんと也哉子さんの対談では、母が父との関係を続けた理由について、より踏み込んだ説明がありました。
也哉子さんによれば、樹木さんは最初の結婚で穏やかな生活を経験したものの、そこに物足りなさを感じて関係を解消。その後に訪れた虚無感の中で、内田さんという強烈な個性を持つ人と関わることで、自分の人生に新たな意味を見いだそうとしたのではないか、と娘は解釈しています。
同じ対談で、也哉子さんは母が父について「どんなに破天荒でもひとかけら純なものがあるから」と語ったことも明かしました。これは、父親の行動をすべて肯定したという意味ではありません。型破りな振る舞いの奥にある一面を、母が見ていたという証言です。
つまり、結婚の出発点には相手への惹かれ合いがあり、その後の長い関係には、相手の欠点も含めて自分の人生の一部として受け止めるという、樹木さん独自の考え方があったと考えられます。
【別居婚の真相】45年間、夫婦であり続けた2人の暮らし
2人の結婚生活を語るうえで欠かせないのが、長年にわたる別居です。樹木さんは2018年に朝日新聞のインタビューで、内田さんと一緒に暮らした期間について「3カ月もない」と振り返っています。結婚後、ほどなくして別々に暮らす状態になり、その後も同居生活に戻ることはありませんでした。
内田也哉子さんは1976年2月11日生まれです。両親が別居していたため、父親が日常的に家にいる家庭環境を経験せず、母がほぼ一人で子育てを担いました。也哉子さん自身も、NHKの関連メディア「ステラnet」のインタビューで、両親は離婚していなかったものの、母が女手一つで育ててくれたため、孤独を感じる子ども時代だったと振り返っています。
別居の実態は、単に住所が異なるというだけではありませんでした。樹木さんは2015年にフジテレビ系「SMAP×SMAP」に出演した際、内田さんと会う頻度について、保険証を渡すときや介護保険料の報告などで年に2回ほどだと説明しています。
それでも、会えば話が尽きなかったそうです。2018年の朝日新聞のインタビューでも、樹木さんは書類への押印などで会うと、互いに話したいことがたまっていて、どちらが先に話すかというやり取りになると語っています。会話がかみ合っている間はよくても、互いに感情的になりやすく、長時間一緒にいるのは難しかったとも明かしました。
興味深いのは、樹木さんがこの関係を一方的な不幸として説明していなかったことです。2015年のテレビ出演では、結婚してよかったかと問われて、はっきり「良かった」と答えています。さらに、内田さんのような夫がいなければ、自分を引き留める「重し」がなくなってしまうという趣旨の発言も残しました。
一方、2016年にテレビ朝日系の特別番組「黒柳徹子だけが知っている THEテレビ伝説60年史」で2人が共演した際、内田さんも別居生活について肯定的な感想を述べています。2人は何年かぶりに顔を合わせながら、互いの性格や距離感について冗談を交えて語りました。
この夫婦の実態を理解するには、一般的な夫婦円満の基準をそのまま当てはめないことが必要です。同居して家事や育児を分担することが、2人にとっての夫婦関係の中心ではありませんでした。生活の距離を保ちながらも、相手を自分の人生から切り離さなかったことが、長い婚姻関係を特徴づけています。
【夫婦関係の年表】1973年の結婚から晩年までを時系列で整理
樹木希林さんと内田裕也さんの関係は、結婚、別居、離婚届騒動、テレビやCMでの共演、そして相次ぐ死去という節目を経てきました。主な出来事を整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 夫婦関係のポイント |
|---|---|---|
| 1973年10月 | 結婚 | 樹木さんは内田さんと再婚。異なる個性を持つ2人の婚姻生活が始まる。 |
| 1970年代半ば | 別居生活へ | 同居期間は短く、別々に暮らす関係が定着。也哉子さんも両親の別居下で育つ。 |
| 1981年 | 離婚届騒動 | 内田さんが一方的に離婚届を提出。樹木さんが離婚無効を求めて提訴する。 |
| 1980年代 | 離婚無効の判決 | 樹木さん側の主張が認められ、離婚は成立せず、婚姻関係が続く。 |
| 2008年 | 京都・祇園祭での外出が報じられる | 長年別居しながらも、一緒に出かけるなど完全に関係を断ったわけではなかった。 |
| 2011年4月 | ゼクシィのCMで初共演 | 結婚39年目にしてCMで共演。2人らしい掛け合いが話題になる。 |
| 2013~2015年 | 夫婦関係について発言 | 樹木さんが、別れなくてよかったという内田さんの言葉や、結婚してよかったという思いを紹介する。 |
| 2016年7月 | テレビ番組で夫婦共演 | 長年の別居や互いの性格について、ユーモアを交えながら語り合う。 |
| 2018年9月15日 | 樹木希林さん死去 | 75歳で死去。内田さんは妻への感謝と敬意を表すコメントを発表する。 |
| 2019年3月17日 | 内田裕也さん死去 | 79歳で死去。樹木さんの死から約半年後だった。 |
| 2026年 | 現在の状況 | 2人とも故人。本人たちの過去の発言、家族の証言、映像や報道が関係を知る資料となっている。 |
年数の数え方にも注意が必要です。2人は1973年に結婚し、2018年に樹木さんが亡くなるまで約45年間、法律上の夫婦でした。一方、別居状態に入った時期は1970年代半ばとされ、別居そのものは約40年以上に及びます。報道や本人の発言では「45年別居」という表現も使われますが、婚姻期間と実際の別居期間は厳密には同じではありません。
また、離婚無効訴訟の判決については、報道で東京地裁の判決が伝えられていますが、年表では広く確認できる出来事を中心に整理しています。結婚後から裁判までの流れを押さえると、単に別居を続けたのではなく、婚姻関係を法的にも維持する選択をしていたことが分かります。
【1981年の離婚届騒動】なぜ樹木希林は離婚を認めなかったのか
2人の関係を大きく揺るがしたのが、1981年の離婚届騒動です。報道によると、内田さんは樹木さんに無断で離婚届を提出しました。しかし、樹木さんは離婚を認めず、離婚無効を求めて東京地裁に訴えを起こしました。裁判では樹木さん側の主張が認められ、離婚は成立しませんでした。
ここで重要なのは、別居していたことと、離婚に合意していたことは別問題だという点です。2人が同じ家で生活していなかったとしても、樹木さんは婚姻関係を解消する意思を示していませんでした。離婚届が提出されたからといって、夫婦の関係がそのまま法的に終わったわけではなかったのです。
なぜ樹木さんは、そこまでして離婚を拒んだのでしょうか。本人が後年に語った言葉や、娘の証言からは、相手への愛情だけでなく、自分自身が選んだ関係に最後まで向き合うという姿勢が読み取れます。
2013年、デイリースポーツの報道では、樹木さんが内田さんから「別れなくてよかった」と言われたことを明かしています。内田さん自身も、知人の離婚を見て、なぜ別れるのかと話すことがあったそうです。夫婦の距離は遠くても、婚姻関係を終わらせることについては、2人の考えが単純には一致していなかったことがうかがえます。
樹木さんは2011年、内田さんが女性への強要未遂などの疑いで逮捕された際にも、自ら会見を開きました。内田さんの行動を無条件にかばうのではなく、本人が説明や謝罪をすべきだという姿勢を示したことが報じられています。
この対応から見えるのは、相手を大切にすることと、相手の行動をすべて肯定することを同一視していなかったという点です。樹木さんは、内田さんとの関係を自分の人生の一部として引き受けながらも、社会的な問題に対しては自分の考えを述べていました。
離婚無効訴訟は、単なる芸能人夫婦の騒動ではありません。法律上の夫婦関係をどう扱うかという問題と、本人たちがその関係にどんな意味を見いだすかという問題が、異なる次元で存在していたことを示しています。
【娘・内田也哉子の証言】両親の結婚生活と夫婦の名言
2人の関係を考えるうえで、娘の内田也哉子さんの証言は重要です。也哉子さんはエッセイストとして活動し、両親の生き方についてもたびたび語ってきました。ただし、その証言は両親の関係を子どもの立場から振り返ったものであり、夫婦それぞれの内面を完全に説明するものではありません。
2024年の文春オンラインの対談では、也哉子さんが、父親はたまに家に現れる存在で、母は父を敬っていたと振り返りました。思春期には、なぜ父と別れないのかと母に問いかけたこともあったそうです。
也哉子さんが伝えた母の答えは、父にはどれほど型破りなところがあっても、純粋な部分があるという趣旨のものでした。子どもから見れば理解しがたい関係でも、母には母なりの判断基準があったということです。
一方で、也哉子さんは、父が家庭に常にいるわけではなかったことによる孤独や、父との距離感の難しさについても語っています。両親の結婚生活を美談だけで捉えると、子どもとして経験した複雑な気持ちが見えなくなります。家族にとっての現実と、夫婦本人たちが感じていた意味は、必ずしも一致していませんでした。
それでも、母が父の悪口を家庭内で言い続けることはなかったと、也哉子さんは回顧しています。母が自分の生き方について娘に説明し、考えを伝えていたことは、也哉子さんが両親の関係を理解しようとするうえで大きな意味を持ったようです。
2人が残した言葉にも、その関係が表れています。
樹木希林さんの言葉:2015年のテレビ出演では、長年別居していたにもかかわらず、内田さんとの結婚について「良かった」と答えました。内田さんを、自分が自由に飛びすぎないようにする「重し」と表現したこともあります。
内田裕也さんの言葉:2018年9月、樹木さんの死去を受けて発表したコメントでは、妻に向けて「啓子、今までありがとう」「見事な女性でした」と感謝と敬意を示しました。長く離れて暮らした相手への言葉として、夫婦の関係を考えるうえで印象的なものです。
2人の共演で見えたもの:2016年のテレビ番組では、樹木さんが内田さんの優しさについて触れる一方、自分自身の振る舞いを振り返る場面もありました。相手だけを問題の原因とするのではなく、自分にも至らない部分があったと語る姿勢は、長い関係を一方的な善悪だけで説明できないことを示しています。
これらの言葉を通じて見えてくるのは、2人がいつも仲良く暮らしていたという物語ではありません。衝突も距離もありながら、相手の存在を完全には否定せず、それぞれの人生の中に位置づけ続けたという関係です。
【ゼクシィCMと晩年】共演から死去までに残したもの
長年別居していた2人が広く注目された出来事の一つが、2011年4月に放送された結婚情報誌「ゼクシィ」のCMです。リクルートが制作したこのCMは、結婚39年目にして実現した夫婦初のCM共演として報じられました。
CMでは、樹木さんが「結婚のいいところって何でしょうね」と問いかけ、内田さんが「ロックンロール!」と答えるやり取りが登場しました。樹木さんがあきれるように応じる掛け合いは、2人の個性と距離感を短い映像の中に凝縮したものでした。CMのコンセプトは「Get Old with Me(一緒に年を重ねて生きていく)」で、結婚の形が夫婦によって異なることを印象づけました。
同年5月、内田さんの逮捕を受けてCMの放送自粛が話題になりました。日刊スポーツの報道によると、樹木さんは会見で、2人が「いい夫婦」だとうそをついてCMに出演したわけではないという趣旨の説明をしています。CMの放送期間は当初から5月13日までとされており、騒動と終了時期の関係には注意が必要です。
2016年7月には、テレビ朝日系の「黒柳徹子だけが知っている THEテレビ伝説60年史」で夫婦そろってスタジオ出演しました。2人は年に何度も会わない生活や、互いの性格について率直に話し、冗談を交えながらも相手への理解を示しました。長年の別居を隠して理想の夫婦を演じるのではなく、実際の関係をそのまま話題にしたことが、この共演の特徴でした。
樹木さんは2018年9月15日、75歳で亡くなりました。がんと向き合いながら俳優として活動を続けた晩年には、自身の生き方や死生観についても率直に語っていました。内田さんは妻の死後、追悼コメントで感謝を述べ、報道によると、樹木さんの火葬にも立ち会っています。
そして2019年3月17日、内田さんも肺炎のため79歳で亡くなりました。樹木さんの死から約半年後のことでした。内田さんの所属事務所は、公式コメントで長年の活動を振り返り、ロックンロール人生を全うしたことを伝えています。
2026年現在、2人はともに故人です。本人たちが新たに関係を語ることはありませんが、過去のインタビュー、テレビ番組、CM、也哉子さんの証言が残されています。これらを振り返ると、2人の関係は「別居していたのに離婚しなかった」という一つの事実だけでは捉えきれないことが分かります。
2人が選んだのは、同じ家に住み続けることでも、関係を完全に解消することでもありませんでした。互いの生活を一定の距離から保ちつつ、婚姻関係を続けるという形でした。それが誰にとっても理想的な夫婦のあり方だったというわけではありません。しかし、2人が自分たちの関係をどのように考えていたかを理解するには、本人たちが残した言葉に目を向けることが欠かせません。
【樹木希林と内田裕也】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:樹木希林と内田裕也は、なぜ別居しても離婚しなかったのですか?
A1:理由を一つに断定することはできません。樹木さんは内田さんを自分にとっての「重し」と表現し、別居生活を続けながらも結婚してよかったと語っていました。娘の也哉子さんも、母には父の型破りな個性の中に純粋な部分を見いだす考えがあったと振り返っています。
Q2:1981年の離婚届騒動では、どのような判決が出たのですか?
A2:内田さんが一方的に離婚届を提出した後、樹木さんが離婚無効を求めて東京地裁に提訴しました。報道によると、樹木さん側の主張が認められ、離婚は成立しませんでした。その後も2人は別居生活を続けながら、法律上の夫婦であり続けました。
Q3:樹木希林と内田裕也は、2026年現在どうなっていますか?
A3:樹木さんは2018年9月15日に75歳で、内田さんは2019年3月17日に79歳で亡くなっています。2人の関係については、過去の本人インタビューや2011年のゼクシィCM、2016年のテレビ共演、娘の内田也哉子さんによる回顧などから知ることができます。
まとめ:樹木希林と内田裕也の45年から考える夫婦のあり方
樹木希林さんと内田裕也さんは1973年に結婚し、長年の別居や1981年の離婚届騒動を経ても、2018年に樹木さんが亡くなるまで婚姻関係を続けました。2019年には内田さんも亡くなり、2人の夫婦生活は幕を閉じました。
2人が別れなかった理由には、相手への愛情だけでなく、互いの個性を認める気持ち、自分で選んだ関係に向き合う姿勢、そして一緒に暮らすことだけでは測れない夫婦観があったと考えられます。樹木さんの言葉や也哉子さんの証言からは、相手を全面的に肯定するのではなく、欠点や難しさも含めて関係を受け止めていた様子が伝わります。
【プロの結論】 2人の関係から読み取れるのは、夫婦の形は一つではないということです。ただし、長年別居したこと自体を理想化する必要もありません。子どもとしての也哉子さんが感じた孤独や難しさも、同じ家族の歴史に含まれています。
夫婦関係を理解するときには、外から見た「仲の良さ」や「結婚年数」だけで判断するのではなく、当事者が何を語り、どのような選択をし、その関係が家族にどんな影響を与えたのかを併せて見ることが大切です。樹木希林さんと内田裕也さんの45年は、結婚の意味を一つの正解に閉じ込めず、自分たちにとっての関係を問い続けた夫婦の記録として、今も多くの示唆を残しています。 (出典: 樹木 希林 内田 裕也(Yahoo!ニュース))